“濡れ衣”の語源は博多にあり
2009.09.04 up
【濡れ衣】…無実の罪を被ること。普段の会話でも時々使いますよね。
実はこの言葉の語源は、博多の地にあるんです。悲しみを背負った姫の霊が、身の潔白を訴えて夜な夜な夢枕に立った…という言い伝えが残っているので、ご紹介します。
正に“濡れ衣を着せられた”姫を供養するために建てられたものです
奈良時代の頃、筑前守に任命された佐野近世という人が、妻と娘(春姫)を伴って、京から博多へ赴任しました。ところが長旅の疲れにより、近世の妻は間もなく亡くなってしまいます。
後に近世は再婚し、春姫には新しい母親ができますが、この継母が曲者で、春姫の存在を疎ましく思っていました。
そこである夜、継母は近世に“春姫が夜ごとやってきては釣り衣を盗んでいく”と、ひとりの漁師を使ってウソの証言をさせます。娘が盗みを働くなんて信じられないと言う近世でしたが、継母に促されて春姫の部屋を覗くと、眠る春姫の上に漁師の濡れた釣り衣が…その姿を見て近世は怒り狂い、眠っている春姫に刀を振り下ろし、斬り殺してしまいました。
翌年のある夜…近世の枕元に春姫の亡霊が立って、我が身の潔白を訴える和歌を詠みました。
『濡衣の 袖よりつたう 涙こそ 無き名を流す ためしなりけれ』
この事により近世は春姫の無実を知り、後に山で苦行を積んで、娘の霊を弔ったそうです。
近世は博多に赴任したばかりで、土地の人の信用を失う事を恐れたために娘に手をくだしてしまったそうですが、もう少し冷静になるべきでしたね。
しかしこのエピソードがないと「濡れ衣」という言葉も生まれなかったかも知れません。
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タグ:博多,8月のテーマ
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