ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

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イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の入口

イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の入口

 ブラジルはヨーロッパ人に発見されたとされる1500年から独立した1822年まで、歴史上では植民地期と分類されています。
  
 植民地時代、ブラジルには宗主国ポルトガルがキリスト教(カトリック)国だったこともあり、町が作られる時にはまず最初に教会が建設されました。
 
 教会は新しい土地での人々の心のより所だったに違いありません。電気もガスもない時代、何ヶ月もの命がけの航海で到着した未知の新大陸では、最後に頼るべくは自らを超えた絶対的な何かしかなかったと思います。
 そんな植民地時代の人々の魂が宿るような古い教会がブラジルにはいくつも残っています。


イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院のある丘

イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院のある丘

 サンパウロ州の海岸の町イタニャインは、1532年に創設された町です。サンパウロ市から車で2時間弱の場所にあります。
 ブラジルで最も古い町というサンパウロ州サンビセンテの近くにあり、サンビセンテに続く古い町といわれています。

 イタニャインにも17世紀に建てられた教会や1561年に現れた修道院の跡地や礼拝堂が保存されています。ブラジルの植民地時代の様式(コロニアル様式)を感じ取ることのできる趣があります。

 ブラジルにはユネスコの世界遺産にも登録される豪華な彫刻と金泥装飾(金色一色に塗られた彫刻)を施した植民地時代の教会がある一方で、イタニャインのような簡素な教会も多く残っています。
 前者が植民地時代の富や権力を象徴するように見えるのに対し、後者は本当に命の無事に感謝を捧げる信仰の象徴のように見えます。どちらも植民地ブラジルを代表する文化です。


イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の跡

イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の跡

 イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院は海を眺望する町の丘の上にあります。
 16世紀に建てられた修道院跡と、正面の壁が一部アズレージョ(青色で模様が描かれたポルトガル由来のタイル)に覆われた礼拝堂が印象的です。

 修道院の窓から大西洋を眺めると、旧大陸から渡って来た人々が郷里に思いをはせた日々が偲ばれます。


イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の窓から眺める大西洋

イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の窓から眺める大西洋


イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の礼拝堂

イタニャインのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイソン修道院の礼拝堂


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