ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

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「コヤマ道(Estrada do KOYAMA)」と表記されたスザノ市の道路標識

「コヤマ道(Estrada do KOYAMA)」と表記されたスザノ市の道路標識

 日本移民が公式にブラジルに渡って100年以上を経た今日、ブラジル各地で、日本人の名前のついた道があるというのはそれほど驚く光景ではありません。
 それでも、やはり道を進んでいる途中に、突然アルファベットで日本人の名前が表記された看板を見かけると、「こんな所にも!」と、何となく気になってしまいます。

 サンパウロ市内やサンパウロ市近郊の日本人、日系人の多く暮らす町でも、日本人の名前がついた通りを時々見かけます。
 車の交通量の多い大きな道路であることもあれば、比較的小さな通りであることもあります。
 農村地域で、まだ土道の道路に日本人の名前が付けられた道もあります。

 サンパウロ市から35kmほど離れたスザノ市という町にも、日本人が多く暮らしてきたコロニア(入植地、農村地域)があります。
 市内の大通りには「コヤマ(小山)道(Estrada do KOYAMA)」と名付けられた道路もあります。
 スザノ市内のイペランジャ地区は日系農家の方が暮らしてきたことで知られ、各家族の家へ向かうまでのメインの土道が、「オオウラ(大浦)の道(Estrada do OURA)」と名付けられています。道路の入口には草木で生い茂った合間に「Estrada do OURA」と表記された看板が立てられています。
 たまたま自らと同じ名字であることに親しみを覚えて事情をうかがったところ、この地区に1929年から暮らしてきた大浦文雄さん(85歳)が、長年地域に貢献されてきたことが称えられ、市から正式に道路名として認められたということです。
 「オオウラの道(Estrada do OURA)」では私道のようなので、本当は「オオウラ通り(Estrada OURA)」に変更したいということですが、手続きが大変だということでした。 


「オオウラ(大浦)の道(Estrada do OURA)」の入口にある看板と大浦文雄さん

「オオウラ(大浦)の道(Estrada do OURA)」の入口にある看板と大浦文雄さん


土道の続く「オオウラの道(Estrada do OURA)」

土道の続く「オオウラの道(Estrada do OURA)」

 先述のように、ブラジル各地には各地域で功労のあった人の名前が通りの名前になることが珍しくありません。日本人だけでなく、世界各地にルーツのある名前の付いた通りもたくさんあります。
 サンパウロ市近郊の高級住宅街で知られるアルファ・ビレという地区のメイン通りの一つには、アルファ・ビレを計画設計したという高岡庸二郎さんという人の名前の付いた大通りなどもあります。
 サンパウロ市内には、現在も発行されている日本語新聞の一つであるサンパウロ新聞の元社長だったという、水本ミツトさんという名前の付いた通りが、サンパウロ新聞社のある通りの名前に付けられています。


「タカオカ・ヨウジロウ大通り(Av. Y Takaoka)」の名前が付いた大通り

「タカオカ・ヨウジロウ大通り(Av. Y Takaoka)」の名前が付いた大通り


サンパウロ市内の通りの一つ「ミツト・ミズモト通り(Rua M. Mizumoto)」

サンパウロ市内の通りの一つ「ミツト・ミズモト通り(Rua M. Mizumoto)」


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