ネパール

ネパール:カトマンズ

うえの ともこ

職業…ライター、旅行会社勤務
居住都市…カトマンズ市(ネパール連邦民主共和国)
ナマステ!
ヒマラヤ山脈の麓、摩訶不思議な国にて、てんやわんやの愉快な生活を送っています。
こんなことからあんなことまで主婦的目線でリポートします。

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細路地の塀は崩壊

細路地の塀は崩壊

瓦礫を避けながら1時間ほど歩いて帰宅すると、近隣住民が我が家の門を開け、庭先に集まっていました。周囲は3~5階建ての家屋が多い中、平屋建てで落下物の心配が少ないためにこの場所に集まったようです。とにかく屋内は危険と、大勢の人が住宅街の中の広場や畑に避難していました。その後も何度か強い余震があり、その度に住民はお互いに肩を寄せ合って、しゃがみこみました。


商店の様子 レジは稼動しておらず、電卓で対応。

商店の様子 レジは稼動しておらず、電卓で対応。

帰宅当初から通電はなくなっており、携帯電話もとても繋がりにくい状態でした。無事を知らせなければ、とツイッターで画像を添えたつぶやきを発信しました。日本のラジオや新聞社からインタビューの依頼が何社かあり、現状をお伝えしました。しかし、翌日からは蓄電バッテリーも底をついて、固定電話も不通になってしまいました。


避難民のため大家さん宅で炊き出しをしてくれてます。

避難民のため大家さん宅で炊き出しをしてくれてます。

我が家は玄関先、軒下を開放して、そのまま避難所となり、老若男女、病人のお年寄りも含め5,60名の人が寝泊りすることになりました。2日目からはシートでテントを張り、キャンプ用のテントも3張、各自が毛布やマットを持ち寄っての共同生活が始まりました。飲料水の確保、ゴミの処理、外にあるトイレ利用を案内。当初は恐怖ですくんでいた避難民も2日目からは積極的に、炊き出しの準備、給水車から水を運ぶ、掃き掃除、雨水を貯めるなど行動を開始しました。


ナラヤンヒティ王宮博物館敷地内のシェルター。

ナラヤンヒティ王宮博物館敷地内のシェルター。

政府が用意したシェルターは市内に10箇所ほどあるようでしたが、雨に濡れたり、ビスケット程度の食料しか配布が無いということでした。自宅から程近く、夜は向いの小さな工場のジェネレーターで明かりと携帯電話の充電ができ、1日2回の炊き出し、朝夕のお茶が用意されるので、我が家の住み心地は好評で、私もとても助かりました。子どもたちはゲームをしたり、おやつを食べて、恐怖を忘れ、非日常を楽しそうに過ごしていました。

しかし、いつまでもこの生活を続けることは出来ません。カトマンズの衛生状態は悪化し、都市機能は麻痺、物資の輸送経路が大きなダメージを受けているため、食料や水、燃料も調達が難しくなることが予測されます。現時点で物価の高騰や買占めは見られていません。人々はカトマンズを後にし、自給自足生活が基本の地方への疎開する動きも見られています。


カトマンズの世界遺産サイト、街のランドマークタワーも大きなダメージを受け、たくさんの人命が失われ、人々の心に大きな傷となってしまいました。これから復興へ向けて力を合わせていかなければなりません。世界各国、皆様からのご支援をどうかよろしくお願いします!


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