台湾

台湾:台北

小川 聖市(オガワ セイイチ)

職業…日本語教師、ライター

居住都市…台北市近郊の新北市(台湾)

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案内のボード

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 建國中學と日本とのつながりは、台北一中時代からあるラグビー部だけではありません。

 学校には「五十嵐力・李昆賢記念奨学金」というものがありますが、名称にある五十嵐力氏は、1939(昭和9)年の台北一中時代の卒業生です。李昆賢氏は、五十嵐氏が陸軍の少尉だった時に出会い、医学の知識で五十嵐氏を支えていた方だそうです。

 終戦後、李氏は台湾へ戻り、五十嵐氏は今のジャカルタへ向かい、離れ離れになりました。その時、再び会う約束を交わしていたそうですが、五十嵐氏が1946(昭和21)年に病気で急逝。享年25でした。

 李氏は人づてにその訃報を聞き、五十嵐氏の家族と連絡を取り、お墓参りだけでなく、その妹の幸枝氏と共に南洋へ赴き、五十嵐氏の生前の足跡をたどる旅も行い、両者の熱い友情に触れたのがきっかけで生まれたのが、この奨学金です。


懇親会の様子

懇親会の様子

 学園祭の終了が迫った15:00から、「五十嵐力・李昆賢記念奨学金」の懇親会が行われました。

 会場には、運営に携わる関係者だけでなく、過去に奨学金を受けた卒業生らが集まりました。

 懇親会は、徐建國校長、奨学金の生みの親とも言える五十嵐幸枝氏(1929年生まれと高齢のため、学校には来ず、動画で参加)と李昆賢氏の関係者のあいさつが中心で、今年の奨学金生の授与式が行われ、最後に参加者同士の歓談で終わりました。


ここでもあいさつを行う徐建國校長

ここでもあいさつを行う徐建國校長

 奨学金は、当初は建國中學の卒業生で、家庭の経済事情が厳しい方に資格があり、大学在学中の学費を全額給付するというものでした。その後、卒業時の大学入試の成績が優れている1人を候補者とし、就学中の者が対象で、毎年前後期ごとに申請して給付される形になり、過去300人以上に給付されています。

 五十嵐力氏は、台北一中在学中、成績優秀で、台北高等商業学校(今の台湾大学管理学院)の入学試験免除で進学したそうです。

 名簿に記された奨学金を給付された方の現況を見ていると、台湾大学の医学部在学中もしくは卒業して医師になった方、東京大学、ハーバード大学、MITなど海外の大学に留学した(している)方が目立ちます。

 この奨学金が、これからもより多くの人材育成に使われ、台北一中と建國中學の歴史を語り継ぐ上で貴重な存在になり得ることを祈ります。




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