メキシコ

メキシコ:グアダラハラ

龍崎 節子(りゅうざき せつこ)

職業…民芸品輸出、撮影コーディネート、通訳翻訳
居住都市…グアダラハラ(メキシコ・ハリスコ州)

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 世界中の映画ファンが注目するアカデミー賞の2019年に、メキシコ人映画監督の自伝的とも言われる「ROMA」が外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞しました。

早速このROMAを見たところですが、そこにはアルフォンソ・キュアロン監督の描きたかった彼自身の思い出がたっぷりと詰まったように感じます。彼が育った60-70年代という時代と地域、環境を抒情的かつ非扇動的に、至極一般的な女性の人生の一部分を淡々と観察するようにまとめています。


メキシコの、何でもない日常を描いたROMA

メキシコの、何でもない日常を描いたROMA

 2008年からメキシコで生活をしている私から見ても、この映画は「ごく当たり前のメキシコの日常を描いている」と感じています。
“松の下”クラスの過程に住み込みの家政婦として雇われている田舎の村出身のインディヘナの女性。休みは一週間に一度、衣食住が約束されているが昼夜問わずそこの家族のお手伝いをする。子供達を寝かしつけ、宿題の手伝いをし、買い物や料理、食器洗いや洗濯、掃除に明け暮れる。今でも変わらずどこの街の「少し上流階級」の家族の一員として生きている女性。


 キュアロン監督がこの映画でおそらく見せたかったのは、アルコール中毒やドラッグの売買、ギャング達の抗争、青少年やセレブ達の乱れた生活といった「ステレオタイプ」とも言える影の部分ではなく、ごく普通の人々のごく普通の生活。しかも、彼特有の「長回し(1カットが長い)」を多用し、観客があたかもそこに介在して一緒に生活している気持ちになってしまう。それゆえ、登場人物達に感情移入しつつ一緒に自分たちの生活まで考える時間ができる。

 メキシコという国とそこに住まう人々の心を一瞬でも理解できる静かな一本です。




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