インドネシア

インドネシア:ジャカルタ

岡坂泰寛(オカサカヤスヒロ)

職業…記者(邦字新聞「じゃかるた新聞」記者)

居住都市…ジャカルタ(インドネシア)

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 驚異的な経済成長を続けている中国。2010年のGDP成長率は10.3%に達し、急速なスピードで世界市場に打って出ている。しかし地域格差の問題は深刻さを増しており、農村部では大規模なデモや暴動が収まりません。
 インドネシアにおいては、中国との経済関係の緊密さが前にも増して深まっています。昨年には、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易協定(FTA)が本格発効、中国製品の流入が加速しています。
 今年は、政府が華人文化を自由化してから11年目。インドネシア総人口(約2億3700万人)の5%前後とも言われる華人は、ここ数年で急速に増加しているとみられ、大陸から出稼ぎに来る中国人労働者も増えている。事実、華人街に近いアパートは、中国人で埋まっています。
 インドネシアの首都ジャカルタにある中華料理店をたずねると、自分の将来の夢を実現するため、昼夜休みなく働く中国人料理人の姿がありました。散々、格差社会の厳しさを思い知らされた末に決めた出稼ぎ。期待に胸をふくらまし、明るい未来を信じて働く男性を取材しました。


厨房で中華鍋を振り料理を手際よく皿によそう馬さん。三つのコンロを使いこなし、次々と注文をさばく

厨房で中華鍋を振り料理を手際よく皿によそう馬さん。三つのコンロを使いこなし、次々と注文をさばく

明日を信じ鉄鍋を振る
中国吉林省の馬さん

 机の引き出しに忍ばせてあった小箱に、指輪が入っていた。馬徳生(マ・デシェン)さん、37歳。中国の吉林省出身。来年、祖国に引き揚げたら妻に渡すつもりだ。インドネシアへ単身で渡り、西ジャカルタのコタにある中華料理店で働き始めて5年。半年後に故郷に帰り、自分の店を開く。その日のために、朝から晩まで中華鍋を振り続けることに迷いはない。
 「頂好餐斤」「潮州海鮮砂粥」。赤や黄の鈍く光った看板に、漢字が窮屈そうに並んでいる。西ジャカルタのマンガブサールの裏通り。午後11時半、四川料理店「辣妹子」(ラメイズ)の店先にはよく磨かれたセダンが並んでいました。
 店内では、華人客がにぎやかに火鍋を突いている。背丈ほどに積まれた水槽では、30センチほどの魚数匹がのっそりと泳いでいます。 馬さんはここの厨房で働いています。Tシャツを着て短髪で体格の良いこの男は、料理人というより農夫のよう。
 馬さんは、住み込みで働いている。一つ屋根の下で寝泊まりをともにしている9人は、全員が中国本土から出稼ぎに来た同僚だ。2年ごとの契約更新も3度目に入り、最古参として厨房の仕切り役を任されています。
 馬さんによると、大陸からコタに働きに来る中国人の料理人は、2、3年前から増えており、ほとんどが田舎の出身者という。


妻へ贈るという指輪

妻へ贈るという指輪

 馬さんが住んでいた吉林省通化市は中国北東部に位置し、北朝鮮の国境と接しています。しかし、中国沿岸部の工業地帯との格差はひどく、経済成長の恩恵は少なかった。
 郊外の下町にある8畳2間ほどのボロアパートに妻と息子、両親と5人で住み、父は雑貨を売る露天商、馬さんは中華料理屋で料理人として働き、家計を支えていました。物価が上がるのに給料は頭打ちで、働いても働いても生活はままならなりませんでした。兄は東京の中華料理屋へ出稼ぎに出ていました。
 そんなとき、インドネシアで働く同郷の友人から仕事の誘いを受けました。彼女は、インドネシア人と結婚し、ジャカルタの華人街で夫とともに中華料理店を経営していました。少なくとも数年間は家族と離れることになるが、馬さんは奮起します。小学生になる息子を将来は大学に進学させたかったからです。「戻ってくるときは、札束を抱えてくる」。そう意気込んで、単身で飛びました。
 現在もらっている月収は1万元。日本円にして12万円ほどで、中国で働いていたときから比べれば10倍に近い。家族への仕送りを除き、5年間ほとんど手を付けずにいます。唯一、大金をはたいたのが、故郷で待つ妻への指輪だった。仕送りを受けた家族は現在、街の中心部に近いアパートに引っ越し、生活も以前より楽になったという。
 馬さんが店の4階にある自分の部屋を案内してくれました。階段は、調理場の中央にある。3階は薄暗く倉庫として使われている。4階に上がるとテラスに出た。月の光に照らされた洗濯物が、そよ風になびいていました。馬さんの部屋はその奥でクーラー付きの2人部屋でした。
 蚊帳が付いたベッドが2床と、それぞれに木製の机が接していました。中国語の新聞や雑誌がちらかっており、洗濯紐にシャツが干されていました。いすを棚代わりに、洗面用具や筆記用具が置いてあります。机の上にはノートパソコンがありまし。
 生活は質素だが、毎日が充実している。「料理の腕をどんどん磨きたい」。鍋を振る姿は毅然としていました。厨房には鉄火場のような緊張感があります。十数種類の調味料が入った缶から、適量をすくう。もうもうと炎を上げるコンロを前に、体中から汗が噴き出していました。
 馬さんの中華料理に惚れて、足しげく通ってくれる客もいます。「兄さん」。客にも同僚にもそう呼ばれて親しまれています。
 あと半年で契約が切れたら、祖国に帰って自分の店を開くつもり。父はジャカルタにいる間に亡くなり、最期を看取ることができませんでした。兄も、いつかは日本から帰国するといいます。「また家族みんなで住みたい」
 テラスからはコタの闇夜に浮かぶ教会が見えました。馬さんは毎週日曜日のミサに通い、祈っています。「今日よりも明日がきっと良くなる」。優しい顔が赤く火照っていました。
 「再見(ツァイチェン)」とあいさつし、店の前で別れんました。時計の針は午前3時。馬さんは仕事に戻りました。未来を信じ、明日も厨房に立つ。


四川料理店「辣妹子」(ラメイズ)。周辺には中華料理店が数店集まり、ディスコやホテルもある

四川料理店「辣妹子」(ラメイズ)。周辺には中華料理店が数店集まり、ディスコやホテルもある


4階の壁に貼られていた清掃当番表。中国語の氏名の横に、それぞれ担当の日付が書かれている

4階の壁に貼られていた清掃当番表。中国語の氏名の横に、それぞれ担当の日付が書かれている


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  • 2 コメント

2 - Comments

ベッドオタクより:

2011 年 07 月 27 日 17:42:23

馬さん、素晴らしいです。。刺激を受けます。是非ジャカルタでがんばっていただいて、祖国で家族みんなで住み、自分のお店を成功していただきたいです。

岡坂泰寛より:

2011 年 12 月 28 日 07:10:13

あれから半年近く経った今も、レストランを訪れると汗だくになって働いている彼の姿を目にします。契約終了までもう少し。故郷への思いをより募らせながらの年越しになるのではないでしょうか。

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