イタリア

イタリア:ローマ

菅谷 桂子(すがや けいこ)

職業…主婦
居住都市…ローマ(イタリア)

前の月へ

2024.12

次の月へ
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     

1/16付イル・ファット;クォティディアーノ紙一面「ローマ法王のパンチ」

1/16付イル・ファット;クォティディアーノ紙一面「ローマ法王のパンチ」

アジア歴訪中のローマ法王がマニラに向かう飛行機内で同乗する記者団に、パリのテロ事件に関して回答する映像が15日夜ニュースで流れました。
「神の名を使って人を殺すのはその正道を外れているが、宗教を屈辱、嘲笑するのも間違っている。表現の自由にも限度がある。」続けて庶民派の法王らしい表現で、「もしも私の友人が、私の母をののしるようなことを言ったら、私のパンチがとんでいく!あたりまえのことだよ!」と語りかけていました。それを見ていた我家の主人と息子達は「そうだ、当たり前だ!」と、テレビ越しの法王に応えていました。


翌朝16日に発売された新聞の1面に「ローマ法王のパンチ」というタイトルを出す新聞が目立ちました。


1/16付けイル・テンポ紙の一面「私はシャルリーではない」

1/16付けイル・テンポ紙の一面「私はシャルリーではない」

日刊紙イル・テンポは、14日発売のCharlie Hebdo誌特別号の表紙を真似て、預言者ムハンマドが泣く姿ではなく、ローマ法王が「私はシャルリーではない」と書いた紙を手にするイラストを1面に出していました。


1/16付けイル・テンポ紙とリベロ紙の一面

1/16付けイル・テンポ紙とリベロ紙の一面

日刊紙イル・ファット・クォティディアーノは、14日パリで発売されたCharlie Hebdo誌特別号を50万部、同日に付録特集版として通常1.40ユーロを2ユーロで販売。パリの友人に購入するよう手配しましたが、完売状態で行列しても一人1部しか売ってもらえないようで、購入困難の連絡がありました。しかしローマでは、主人2部と私1部で、思ったより簡単に購入することができました。残念なことに、これまた過激な風刺画を見れても、フランス語版で今一つ理解できません。後に16か国語で販売される予定だそうです。


1/15付けイル・ファット・クォティディアーノ紙の付録で特別号入手

1/15付けイル・ファット・クォティディアーノ紙の付録で特別号入手

上記イタリアの日刊紙内の記事にもありましたが、この事件を授業で話題にする高校も多く、先日15歳の二男もクラスで討論したようでした。
息子はネットより過去に発表された風刺画を見つけ、「偶像崇拝を排除したイスラム教に対して、あえて意味深で過激に預言者ムハンマドを描写することは、信者に対して挑発的な行為であり、表現の自由を越えている。」と言っていました。


レポーター「菅谷 桂子」の最近の記事

「イタリア」の他の記事

  • 6793 ビュー
  • 3 コメント

3 - Comments

道下より:

2015 年 01 月 18 日 14:43:57

実にタイムリーなリポートありがとうございます。「法王のパンチ」とは言い得て妙なタイトルです。法王でも手を出すんですね。

菅谷桂子より:

2015 年 01 月 21 日 10:27:58

道下様
コメント有難うございます。
「法王でも手を出す」ということについて、遅ればせながらも補足いたします。

記事は現ローマ法王が機上で同行する記者団と恒例になっている質疑タイムでの回答です。
この回答のほんの一部がテレビの映像で流れ、紙面のタイトル「ローマ法王のパンチ」となり私の記事でご紹介しました。
ご参考までに、コリエレ・デッラ・セーラ日刊紙のネットに公開されたビデオと質疑全文がイタリア語で載っています:
http://video.corriere.it/papa-non-si-puo-prendere-giro-fede-altri/aec4c568-9cc7-11e4-8bf6-694fc7ea2d25

記者の質問は「昨日のミサ時に法王が基本的人権として信教の自由についてお話がありましたが、他宗教に敬意を払って表現の自由がどこまで許され、それも基本的人権であるのか?」でした。
これに対して、ローマ法王は「信教の自由と表現の自由は両方とも基本的人権である。」とはじまり、「自由であるからといって、他人を侮辱してはいけない。その受けた侮辱に対して暴力で答えることはいけないが」という発言の後、「もしも友人が自分の母親を中傷するようなことがあったら、パンチが飛ぶのはあたりまえ。」続いて「挑発してはいけない。他人の信ずる宗教を侮辱してはいけない。宗教をからかってはいけない。限度がある。」
最後に「私の母親が侮辱されるようなことがあればという例を出したのは、表現の自由には限度があるということを言うためでした」と結んでいます。

この法王の例えは、イタリアにおいてはとても効果的(?)で的を射ているのは、とりわけイタリア人男性(男の子も)にとって母親というのは絶対の存在だからです。日本人の私にも理解しがたいほど母親への情が深く、自分が愛し大切にする母親に対する侮辱が許せないことに納得できるてしまうのです。

法王でも手を出すかどうかはわかりませんが、聞いた人々にとってはとても分かりやすく、明瞭簡潔で効果的な表現なのです。




道下より:

2015 年 01 月 22 日 16:08:45

丁寧なコメントありがとうございます。「表現の自由」を職業としている身にとって法王の表現はとても興味深い内容です。侮辱や差別から争いに発展するのはどの国にもあることで、その点では法王のコメント通りでしょう。一方で問われるべきはその先にある暴力やテロが是認されるのかということ。それは許されるものではありません。

Add your comments

サイト内検索

Name(required)

Mail(will not be published)

Website