ちょっと怖い? チリの共同墓地へ行ってみました
2018.05.30 up
チリの国民的歌手ビオレタ・パラの墓。彼女の墓からは花のいい香りがするほどでした
チリ・サンティアゴは日々寒く、曇りがちの日が続き、1カ月前までの暖かさは嘘のようです。チリの夏場は太陽が照りつけて気持ちのいい日が続きますが、冬場になると天気は沈みがちになり、曇りで雨の日が続きます。寒くて天気も悪いと気持ちも沈んでしまいそうです。
チリを代表するサッカーチーム「コロコロ」の愛好家が埋葬されている墓
最近の私たち家族はというと1カ月に一度は家族で遠足を計画し、どこか近場の面白いスポットへ出掛けるようにしています。今月はチリで一番大きい、サンティアゴの共同墓地へ行ってきました。墓地というと怖いイメージもありますが、それぞれの墓の建物が小さな教会のような凝った造りで建物や墓と一緒に作られた彫刻などもあり、見て歩くだけでもなかなか面白いものでした。
ビクトル・ハラの墓。社会主義だった彼は軍事政権中にフォークソングで革命を起こそうとした現在も英雄的な評価を受けているチリを代表する歌手
キリスト教徒が多いチリは土葬が一般的で、死体が至る所に埋葬されていることを想像すると少し怖い気もしましたが、墓には花やカラフルな風車などが備え付けられ、明るい雰囲気もありました。
昔の富裕層が作った墓は大きな造りが多く、まるでミュージアムのよう
そんな共同墓地ですが、私が面白いと思ったのが、「〇〇スポーツクラブ愛好会のお墓」とか「〇〇サーカス団のお墓」とか「〇〇のファンが集うお墓」など、家族の枠組みを超えた墓があり、多くの人の名前が刻まれていたことでした。
また墓の前にベンチが作られ、亡くなった人をしのびに来た人たちが、椅子に座って音楽を流しながら故人の話をしている姿も見られました。
軍事政権に暗殺された悲しい過去を持つチリの英雄的大統領、サルバドール・アジェンデの墓
チリの国民的歌手のビオレタ・パラやビクトル・ハラの墓にはたくさんの花が飾られ、いまだに多くの人から愛されている様子が伺えました。1970年代に軍事政権がチリを支配した際に、多くの社会主義や左翼の人々が無差別に大量殺害された悲しい歴史がチリにはあります。中には軍事政権中に行方が分からなくなった人も数多くいます。サンティアゴの共同墓地の一角には、軍事政権で命を落とした人々の墓地も共同で造られています。
サンティアゴ共同墓地は1800年初頭に造られた墓地で、古いものは200年以上の歴史がある墓も見ることができました。86ヘクタールにもわたる広い敷地を歩くと、街中のけん騒から逃れて少しゆっくりした気持ちになることができました。
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