チリの悲しい歴史9.11
2019.10.08 up
サンティアゴの中心部を流れるマポチョ川の橋にはクーデターで行方不明になった人々の写真が飾られていました。
9月11日といえば、2001年に起きたアメリカの同時多発テロ事件を連想する方も多いと思います。実はチリも1973年に起きた軍事クーデターの日として有名です。チリは世界で初めて自由選挙によって合法的に社会主義政権が誕生した珍しい国です。クーデターが起きる直前まで、アジェンデ大統領が主導する平等な社会を理想とした社会主義国でした。そんなチリをアメリカ政府及びアメリカの多国籍企業の主導のもと、ピノチェットが指揮する軍隊がクーデターによって武力で覆されました。
サンティアゴ旧市街にある大統領官邸は、上空から飛行機で爆破をうけアジェンデ大統領は死亡(自殺したともいわれています)しました。その後ピノチェットが主導する軍隊が政権を握った後は、凄まじい「左翼狩り」が行われ、労働組合をはじめとし、多くの市民や活動家が逮捕・拘束・殺害されていきました。
チリ大学法学部ではホワイトボードで「彼らはどこへ?」と書かれ、行方不明者の写真が飾られていました。
夜間外出禁止令も出され、夜間に外出すると軍部に捕まり連行される時期も続きました。左翼的な思想家の家へは軍隊が直接入り込み、連行し拘束することもあったと聞きます。政府は左翼狩りに関する具体的な情報を未だ全て明かしてはいません。そんな中、多くの人が行方不明となり未だに行方がわかっておらず、この時期になると毎年、サンティアゴでは行方不明者やクーデターで亡くなった人たちやへ祈る人々の姿などが見られます。
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