ブラジル

ブラジル:サンパウロ

日下野 良武(くさかの よしたけ)

◎職業;ジャーナリスト、ブラジル文化研究家
◎居住都市;サンパウロ市(ブラジル国)

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3カ国を駆け巡った自身の人生を振り返る竹中よしえさん(ブラジル日本語センターで)

3カ国を駆け巡った自身の人生を振り返る竹中よしえさん(ブラジル日本語センターで)

 ブラジルへ渡った日本移民の生存者は年ごとに減少している。寂しい限りだ。そんな中、両親と共に戦後韓国から日本へ引き揚げた後、家族ともどもアマゾン奥地へ移住した女性が、元気でサンパウロ市に住んでいる。


自身の人生を振り返る竹中よしえさん。右は夫の清さん

自身の人生を振り返る竹中よしえさん。右は夫の清さん

 3カ国をまたぐ数奇の人生を送ったのは、竹中(旧姓・北川)よしえさん(79)。日本に戻ったのは4歳で、熊本市に住んだ。12歳の時、両親の利一さん、ふさえさんときょうだいの合計8人で神戸港から移民船『あふりか丸』に乗船、アマゾン川上流の奥地へ向かう。1954年のことだった。

 着いた先は、ボリビア国境に近いジャングルの真っただ中だった。「何にもない所でコメ作りと養鶏を始めた。道を造ったり、斧で木を切ったりの苦労の毎日。移住地での生活に見切りをつけ、3年半後に大都会サンパウロへ出ました」と述懐する。


 19歳で結婚したよしえさんの夫・竹中清さん(85)も韓国出身。横浜市に滞在した後にブラジルへ移住している。2人の間には娘2人。次女はスイス在住、長女は自宅の近くに住み、男孫1人。


 「靴製造・修理専門の店を約60年。陰ながら夫を支えてきた。学校は小学校までで、もっと日本語を勉強したかった。その思いが強く、私たち夫婦も高齢になり、日本語を学ぶ子供たちを応援したい。幸い、毎日の生活に問題はないので協力したい」と話す。

 今、「夫婦でラジオ体操をやっている。夕食ではみそ汁に刺し身が大好き」。よしえさんの声ははっきりしていて冗舌だ。「日本への里帰りはこれまで3回、幼い頃の思い出がよみがえった」という。


 「今年は結婚60年。家族でお祝いする予定だった。でも、コロナで延期」と悔しそうだった。「これまでを振り返ると、アマゾンでの暮らしはいい体験でした。両親に感謝する毎日です」と、最後は涙声に。 

 3か国を駆け巡った、波濤万里の人生に幸あれ!


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