「恩返しできるなら」 日本へ寄付集まる
2011.07.19 up
寄付をしてくれたインドネシア人の子ども
10日、ジャカルタ中心部のショッピングモールにジャカルタ在住の邦人主婦らが集まっていました。彼女たちは、東日本大震災を契機に「私たちにも何か支援ができないか」との思いから発足した支援グループ「ハティ・ク・ハティ(心から心へ)」のメンバー。4~5月にかけてインドネシア人に義援金の協力を呼びかけ、この日は、寄付金の使い道を知ってもらおうと、七夕イベントを兼ねた中間報告会を開いたのでした。
話は4月に遡ります。
「Mohon bantuan korban gempa dan tsunami Jepang(日本の地震と津波の被災者に支援を)」。
ジャカルタ中心部のショッピングセンター。メンバーたちが買い物客に声を張り上げていました。すると早々に「今まで日本がしてくれた恩返しになるなら」と、多くのインドネシア人が寄付を申し出てくれました。2004年に発生し16万人が死亡したスマトラ沖地震・津波で日本が支援してくれたことを覚えていてくれたのです。展示した被災地の写真を見て「お金送れば助かるんだよね」と寄付してくれた子どももいました。
6回にわたり館内に立ち、寄付の呼び掛けを行いました。そしてメンバーは、寄付をしてもらったなら、きちんと使い道を知ってもらおうと思い、報告会を開こうと考えたのでした。
報告会を開いた会場には笹を飾り、多くの家族連れなど買い物客らが短冊に願い事を書いていました。書道やお茶を点てる実演を披露し、興味深そうに足を止める買い物客たち。「励ましとお見舞いの気持ちに対して、感謝の気持ちを伝えられたら」とメンバーの一人は話しました。
始めは「先進国の日本が支援を募るなんて」と案じていたメンバーもいました。しかし、寄付の呼びかけを終えて、「インドネシア人の優しさに触れた得難い経験になった」と口にしました。
■世界の思いやり 募金箱に
米ドル、タイ・バーツ、ユーロ‥。開いた募金箱の中には、世界各地の紙幣がありました。
世界中からビジネスマンが集まるインドネシアの首都ジャカルタ。寄付はインドネシア人だけではなく、出張者や駐在員と思われる買い物客からも集まりました。「圧倒的に多かった十万ルピア札。ちらほら見かける外国の紙幣。世界が日本を心配してくれているんだ」と実感したといいます。
◇◇◇◇支援先について
支援先は、発起人のメンバー十人が毎週ミーティングを開いて検討。「被災者が今、現地で必要としているもの」を届けようと、被災地に入った非政府組織(NGO)を通じ、情報を集めました。
壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の老人ホームや養護施設には、牛乳10万円分をすでに送付。被災地に届くまでに時間がかかったり、冷蔵庫が無かったりすることを考慮し、賞味期限が長い製品を選びました。
「被ばくの影響が懸念されている子どもや妊婦に、線量計を使ってほしい」「段差が多い仮設住宅で車いす生活を送っている被災者は苦労しているはず」。支援項目はそんな思いから決まっていきました。
送付手続き中の支援は?福島第一原子力発電所の北約25キロに位置する福島県南相馬市へ線量計を寄付?陸前高田市にある仮設住宅に車いす用の移動式スロープを寄付?岩手県宮古市の漁業協同組合の組合再建費用の一部を負担―などです。
七夕イベントで短冊に願いごとを書くインドネシア人の家族連れ
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タグ:東日本大震災,寄付,東北地方太平洋沖地震
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