気仙沼でボランティアをしてきました
2011.07.08 up
6月18日に学校で採点などを終わらせて19日に日本に飛んでいきました。
東日本大震災の時に気仙沼と岩手に住んでいる友だちの行方が何日間わかりませんでしたが、その時のパニックと悲しさが一生忘れられません。夏休みに入ってからすぐ友だちに会って自分の目で無事でいることを確認したかったし、被災地でボランティアしたかったから日本に行ったのです。
ちょっと分かりずらいですが、橋の上に屋根とトラックが波によって置かれたままです
20日に宮城に着いて21日と22日に気仙沼でボランティアをしました。21日に海の近くの山にあるちょっとした近所に行ってがれき撤去をしました。
田んぼに流れてきた子どものおまちゃや渋いデザインの小皿などを拾って分別してごみの山に加えました。つい最近まで立派に建っていた家のそばの林に入って、木と木の間に挟まれていたりんごジュースがまたたっぷり残っているペットボトルや輝いている鏡のくずなどをやさしく手に持ちました。
自分の汗だらけになっていた顔を見てから、グラスの山に載せました。こんな作業を5時間ぐらいしていましたが、2つのことがずっと気になっていました。
まず、私たちは簡単に「ごみ」と判断する権利があるのか。持ち主にとって、あの小皿は親友にもらったかもしれません。あのおもちゃはだれかの宝物だったかもしれません。しかし、判断するのが私たちの仕事だったのであまり深く考えないようにするしかなかったです。
あと、この家の人が間に合って逃げられたかのが心配でした。気仙沼の友だちは津波で家を失ったカップルを泊まらせていますが、その奥さんの話によると、去年も津波注意報があったけど結局津波らしいことがなかったです。そのせいで今回の注意報に従って高いところまで逃げなかった人が多かったそうです。
がれき撤去をしている近所で6人が亡くなったと聞きましたが、詳しいことが知りませんでした。ですから、物を拾いながら、「これ」を使っていた人がその6人の1人だろうかとよく思ってしまいました。
22日に本吉市の公民館でボランティアをしました。がれきで見つかった写真や名前がはっきり読める書類をきれいにして警察に届けるように箱に入れておきました。持ち主が把握できない証書とか写真とかを公民館で展示をしているそうです。
家が壊れた人が津波以前の生活につながっているアルバムなどを探しにくるのです。もうきれいには見えないかもしれませんが、いくら薄くなっていても自分の孫の笑顔の写真がどこでも買えない物で大切に取っておきたいに違いなません。
ちなみに、書類や写真のほか、現金がたくさんありました。被災の後に、多くの国で略奪が起きましたが、日本ではなかったことを思い出して日本人の他人への思いやりでまた感動しました。
こんな写真のアルバムがたくさんありました。ていねいにできるだけきれいにしました
22日の夜に宮城を出て、宮古を向かいました。宮古でしたボランティア活動も近いうちに載せる予定です。
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