ブラジル

ブラジル:サンパウロ

日下野 良武(くさかの よしたけ)

◎職業;ジャーナリスト、ブラジル文化研究家
◎居住都市;サンパウロ市(ブラジル国)

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サンパウロ新聞最終号の紙面

サンパウロ新聞最終号の紙面

 サンパウロ市で発行する日本語新聞のサンパウロ新聞(日、月休刊=サイズは日本の新聞とほぼ同じ)が、今年の元日号をもって廃刊となった。73年の歴史だった。


サンパウロ新聞社の社屋。今年に入り、正面の出入り口は閉ざされたまま

サンパウロ新聞社の社屋。今年に入り、正面の出入り口は閉ざされたまま

 終戦後、サンパウロ市から500~800キロも離れた複数の日本人植民地で、日本は戦争に「勝った」「いや、負けた」と日本人同士が争い、殺人事件にまで発展したのが「勝ち組負け組事件」。この出来事は情報が閉ざされた中での悲劇に他ならない。

 そのような状況下、サンパウロ新聞がブラジル政府の認可を受け、1946年10月に創刊した。情報不足による日系社会の混乱収拾が目的だった。創業者は熊本県下益城郡小川町出身の水本光任。ブラジル在住の日本移民にとっては貴重な媒体に発展し、最盛期には公称3万部を記録、日系社会の連携を強固にした。


 サンパウロ新聞に続いて日伯毎日新聞、パウリスタ新聞が発刊。1993年には後発の2紙が合併し、ニッケイ新聞となる。以後、減少一途の日本語読者獲得をめぐり、2紙がしのぎを削ってきた。


 音更町出身でかつては同紙の愛読者だったサンパウロ市在住の馬場光男さん(80)=音更南中士幌小・中、帯広柏葉高卒=は「20年前から読んでいた。最近、良い記事が見当たらなかった。日本語新聞は2紙あった方がいいけどねぇ」と悔しがる。
 ブラジル日本都道府県人会連合会会長の山田康夫さん(67)は「時代の流れの中で部数が減って行ったのだと思う。日系3、4世の人たちが、お金を払ってまで日本語新聞を読んではくれないでしょう。残念の一語に尽きる」と、最後の声は低かった。


 サンパウロ新聞は日本語新聞として存在感を示してきたが、日系社会は日本語の読めない移民の孫や曽孫の時代を迎えている。最終紙齢は1万6538号で、20ページ建てだった。


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タグ:サンパウロ

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